2006年06月17日
中村俊輔の話を聞いて
W杯で今は話持ちきりで、何となくマリノスのHPを見ていて、ジュニアのクラブはどんな感じなんだろうと見ていた。
「育成組織」についてなど、しっかりした枠組みがあるなあと感心していたら、調度そのとき、再放送だったけど、さんまと俊輔の番組がやっていた。
私が観たのは「11歳での挫折」あたりからで、俊輔が、横浜市代表で海外に行って凱旋帰国した時に味わった。それは他の子をバカにした態度や暴言で、雑用係にされた。監督曰く、「チームのメンバーが自分の思ったところにパスしないからと暴言を吐いたり天狗になっていた。」と。
俊輔はすぐ態度を改めるが、スタジオで「僕はとにかくサッカーが上手くなりたかったので、楽しくとかやっているなら、学校でやってくれ!とそのときは思っていた」と。
そして、中学に入ると、マリノスのユースジュニアに入った。そして10番を背負って中3になった時、レギュラーから外された。
二度目の挫折。
それは背が低かったから
高校になる時、マリノスのユースに入れなかった。
高校で部活に入り、ボール拭きから始めた。
しかし、調度、成長期に入り1年で15cmも身長が伸びた。
技術があり体も大きくなれば怖いものなし
と高校サッカーの全国大会に出場し、そしてまた、マリノスに戻った。
が、4年前、トルシエに日本代表メンバーから外された。
三度目の挫折
同じポジションに中田(英)がいたからだ。LEFTでのプレーでアピールできなかった俊輔。でも目指すものがあり、また今の自信にも繋がった。
実は、少し前、長女がやる気なくモチベーションが下がった時期があった。その時私は、無理にやっていても仕方ないし、好きな事をやりなさいと言ったが、本人は「テニスは辞めたくない」と頑なに言っていた。
主人は、「続ける事に意味がある。プロになったとして、30歳で引退すると考えれば、20年以上テニス人生がある。その中でずっとモチベーションを高く保つのは不可能だ。落ち込んだり、辞めたいと思ったりその中ではするだろう。でも、そこで続けた人だけが残るんだよ!」
と、私に言った。
中村俊輔の「挫折」は大きい話だったけど、もっと小さい苦労は沢山していて、練習も人一倍やっていたり、キャプテンとしての責任があったりとそれらを乗り切った過去がある。
そんなちょっとのことで辞めさせようとした自分にとても反省させられ、いい話だった。
「育成組織」についてなど、しっかりした枠組みがあるなあと感心していたら、調度そのとき、再放送だったけど、さんまと俊輔の番組がやっていた。
私が観たのは「11歳での挫折」あたりからで、俊輔が、横浜市代表で海外に行って凱旋帰国した時に味わった。それは他の子をバカにした態度や暴言で、雑用係にされた。監督曰く、「チームのメンバーが自分の思ったところにパスしないからと暴言を吐いたり天狗になっていた。」と。
俊輔はすぐ態度を改めるが、スタジオで「僕はとにかくサッカーが上手くなりたかったので、楽しくとかやっているなら、学校でやってくれ!とそのときは思っていた」と。
そして、中学に入ると、マリノスのユースジュニアに入った。そして10番を背負って中3になった時、レギュラーから外された。
二度目の挫折。
それは背が低かったから
高校になる時、マリノスのユースに入れなかった。
高校で部活に入り、ボール拭きから始めた。
しかし、調度、成長期に入り1年で15cmも身長が伸びた。
技術があり体も大きくなれば怖いものなし
と高校サッカーの全国大会に出場し、そしてまた、マリノスに戻った。
が、4年前、トルシエに日本代表メンバーから外された。
三度目の挫折
同じポジションに中田(英)がいたからだ。LEFTでのプレーでアピールできなかった俊輔。でも目指すものがあり、また今の自信にも繋がった。
実は、少し前、長女がやる気なくモチベーションが下がった時期があった。その時私は、無理にやっていても仕方ないし、好きな事をやりなさいと言ったが、本人は「テニスは辞めたくない」と頑なに言っていた。
主人は、「続ける事に意味がある。プロになったとして、30歳で引退すると考えれば、20年以上テニス人生がある。その中でずっとモチベーションを高く保つのは不可能だ。落ち込んだり、辞めたいと思ったりその中ではするだろう。でも、そこで続けた人だけが残るんだよ!」
と、私に言った。
中村俊輔の「挫折」は大きい話だったけど、もっと小さい苦労は沢山していて、練習も人一倍やっていたり、キャプテンとしての責任があったりとそれらを乗り切った過去がある。
そんなちょっとのことで辞めさせようとした自分にとても反省させられ、いい話だった。