2008年03月12日
東京大空襲
昨日、TBS系で、
ドキュメント「東京大空襲」をやっていました。
うちのパパや、長男も、見入る様に観ていました。
当時の写真(日本側からの)がなかったのだが、
ある警察官が、命令のもと、写真に収めていた。
当然、GHQからは、それを差し出せと言われたが、
その警察官は、出さなかった。
庭先に壺の中に入れて保管した。
たった、33枚の写真。
焼夷弾の惨さは、生きた人間を丸焼きにしていく。
黒こげの人間の写真ばかりでした。
そして、黒こげの遺体の山。
その、東京大空襲を行ったアメリカ軍のメンバーは
今でも、同窓会をしているそうだ。
その人たちにその写真を見せると、
「任務を果たしただけ」という。
TVに色々語ってくれた、おじいさんや、おばあさんの話は、
本当につい最近だったように話す。
うちの両親は、戦争時代を生きてきた者で、
母は、当時、上野にいたそうだ。
どうやって生き延びたかというと、人が大勢いるところに
爆弾を投下していくので、ひとけのないところや、
土手の草むらに隠れたそうだ。
父はというと、軍のレーダー員の将校だった為、
早々に聞きつけて、横浜の実家に帰ったそうだ。
そのあと、横浜にも空襲があって、実家はまる焼け、
防空壕も危ないと言われ、妹を連れ、外人墓地に
走って逃げたそうだ。
外人墓地には、全く爆弾は投下されず、
逃げ切れたそうだ。
私は、まだ、歴史の一部を身近な親から、聞けるが、
この先、そう言い伝えてくれる人たちが居なくなって
しまう時代がきてしまうだろう。
それを聞いたものとして、子供達にも語り続けたいです。
三月十日はぼくの「命日」
【内容情報】(「BOOK」データベースより)
あの日、東京大空襲で15歳のぼくは極限状況に…下町深川で過ごした15年戦争の時代、そして10万人が殺戮された3月10日の惨劇を、加害と被害の視点で語り継ぐ。―戦争への跫音が高まるなかで。
ドキュメント「東京大空襲」をやっていました。
うちのパパや、長男も、見入る様に観ていました。
当時の写真(日本側からの)がなかったのだが、
ある警察官が、命令のもと、写真に収めていた。
当然、GHQからは、それを差し出せと言われたが、
その警察官は、出さなかった。
庭先に壺の中に入れて保管した。
たった、33枚の写真。
焼夷弾の惨さは、生きた人間を丸焼きにしていく。
黒こげの人間の写真ばかりでした。
そして、黒こげの遺体の山。
その、東京大空襲を行ったアメリカ軍のメンバーは
今でも、同窓会をしているそうだ。
その人たちにその写真を見せると、
「任務を果たしただけ」という。
TVに色々語ってくれた、おじいさんや、おばあさんの話は、
本当につい最近だったように話す。
うちの両親は、戦争時代を生きてきた者で、
母は、当時、上野にいたそうだ。
どうやって生き延びたかというと、人が大勢いるところに
爆弾を投下していくので、ひとけのないところや、
土手の草むらに隠れたそうだ。
父はというと、軍のレーダー員の将校だった為、
早々に聞きつけて、横浜の実家に帰ったそうだ。
そのあと、横浜にも空襲があって、実家はまる焼け、
防空壕も危ないと言われ、妹を連れ、外人墓地に
走って逃げたそうだ。
外人墓地には、全く爆弾は投下されず、
逃げ切れたそうだ。
私は、まだ、歴史の一部を身近な親から、聞けるが、
この先、そう言い伝えてくれる人たちが居なくなって
しまう時代がきてしまうだろう。
それを聞いたものとして、子供達にも語り続けたいです。
三月十日はぼくの「命日」
【内容情報】(「BOOK」データベースより)
あの日、東京大空襲で15歳のぼくは極限状況に…下町深川で過ごした15年戦争の時代、そして10万人が殺戮された3月10日の惨劇を、加害と被害の視点で語り継ぐ。―戦争への跫音が高まるなかで。
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